これまで「世界一素敵な学校 〜サドベリー・バレー物語」を読んで知ったことがあります。
第一回目の記事のような、自由になりたいと願いながらもいざ自由になると人は皆、何も出来ないと言うことです。
「みんな違って、みんないい」を実はしっかり飲み込めておらず、いじめや差別など人との違いや皆さんの「当たり前」の内と外に値する人との「違い」を受け止めて、「当たり前」を当たり前に考えることが大事なんだと言うことです。
自分とは違う人を否定的に考えることについて、そもそもは間違っており、「違うことが当たり前なんだから」と弁えておく必要があります。
【中古】 世界一素敵な学校 サドベリー・バレー物語/ダニエルグリーンバーグ【著】,大沼安史【訳】
また、第二回目の記事のように、私たちは「他人の違い」を受け入れられていないことがあります。
また、「当たり前」や世間体などの枠組みに縛られたり翻弄されたりして「いじめ」が起き、これらの学校問題は大人のやり方で生まれている部分もあるということを書いてきました。
では、このような少し取っ付きにくい問題とデザインがどのような関わりがあるのかというと、
デザインをすることや何かを発信することは、当たり前を当たり前と思っていては何も新しいことは出来ないからです。
今回はその辺についてをお話していきます。
(3)なぜデザインや新しいことを始めることが、学校問題の核と関連しているか
デザインや何か新しいことを発信したり創り出すには、その今まで「当たり前」側から否定されてきた立場に立たなければなりません。
多数派ではなく、少数派で見つけ出したり、創り出すことが必要なのです。
今までとは違うことをしなければならないのです。
しかし、今の私たちには簡単にそうしろと言われてもなかなか難しいことなのです。
要するに、子どもの頃から自由を知り、世間の当たり前に縛られず、人と違うことが当たり前なんだと心得ていなのなら、自然と何かを発信したり新しい物事を創り出す力は身についていたのです。
と言っても、あの頃この本に出会っていたのならば・・・と後悔しても仕方がありません。
この本を読んで、自分がそうでありたかったように若い人にそのように接し、伝えることしかないのです。
それに別に今からでも遅くはありません。
凝り固まった固定概念や当たり前、周りとの比較といったことを手放すことはスンナリ出来ることではなく、それらが分かっただけで大きな一歩に繋がるし、何か煮詰まってしまった時は思い出せるので解決の糸口にもなります。
今後、何か新しいことを発信したり、新しいモノづくりをしたりする側としてはとても大きなヒントになりました。
少し語弊が出てくる表現にはなりますが、デザインや新しいことをする側としては、周りから変わった目で見られたり避けられたり、浮いてしまったりする存在でいていいんだと思います。
自分の思ったこと、感じたこと、こうでありたいという考えや願望を表に出していっていいし、出さなければ何も始まりません。
サドベリーバレー校のカリキュラム程でなくてもいいのです。
いつか日本の学校も自由で(もちろん同時に責任も背負うことになります)他人同士の「違い」を受け入れられる風習が身につくと、日本ではもっともっと素晴らしい開発者・発明者、デザイナー、文化が増えるのではないでしょうか?
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